更新日 : 2023年02月24日
夜なべ仕事と言えば、繕(くろ)い物だけじゃなくて、着物もよく縫(ぬ)ったね。
新しい着物を縫(ぬ)うときもあるけど、縫(ぬ)い直しが多かったんだよ。
着物は夏用の単衣(ひとえ)、冬用の袷(あわせ)があって、それぞれ季節が終わると、汚れがひどいものだけ洗い張りをしたもんだよ。縫(ぬ)ってある糸をほどいて、布に戻してから洗うの。
洗った布は、板に貼り付けたり、伸(しんし)針でピンと伸ばして、のりを付けて乾かすんだよ。それを次の季節に間に合うように、着物に縫(ぬ)うんだから、大変な手間だったの。上等な着物は洗い張り屋さんや染め物屋さんに頼むんだけど、普段着は自分の家(うち)で、洗い張りするんだから大変だったね。
着物から抜いた糸も大切に取っておいて、雑巾を縫(ぬ)うときに使ったんだよ。今は新しいタオルを下ろして、雑巾(ぞうきん)にしたりするけど、昔は古布で作ったんだよ。傷んで着られなくなった木綿の服や下着などを、重ねて刺して、雑巾(ぞうきん)に縫(ぬ)ったの。
着物と言えば、明治時代から昭和の初め頃までは、小平は養蚕(ようさん)が盛んで繭(まゆ)をたくさん出荷していたの。だから自分の家(うち)で繭(まゆ)から糸を取り、機(はた)を織って、反物まで作っていた人もいたんだよ。
自分の家(うち)で作った反物は家(うち)織りと言って、良い繭(まゆ)で作ることもあったけど玉繭(まゆ)やビション繭(まゆ)なんかの、売り物にならないような繭(まゆ)で織ることが多かったんだよ。玉繭(たままゆ)は大きな丸い繭(まゆ)で、2匹の蚕が一緒(いっしょ)に一つの繭(まゆ)を作ったものなの。大きいから良さそうなものだけど、実は糸が節だらけなんだよ。ビション繭(まゆ)という、中で蚕が死んでしまった繭(まゆ)も、糸に染みが出ていて、売り物にはならないの。そういう物で、自分たちの着物を作ったんだね。でも、絹だから、やわらかくて軽くて、着やすかったんだよ。
(協力)小平民話の会
たまろくめぐり
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