更新日 : 2023年03月04日
正福寺の本堂が、江戸時代の初め、火事になった話は父から聞いたし、明治八年生まれの祖父からもよく聞かされた。
本堂から火が出て地蔵堂も危なくなり、村の者はただ茫然となかばあきらめていたところ、地蔵堂の棟の上に、どこから来たのか墨染めの衣の僧が大勢現れて、降りかかる火の粉を払ってくれたので、地蔵堂が助かったということである。
このことについて、我が家の「繰り位牌」の中に納められている戒名の添え書きが、火事のあったことを立証している。
「寛文二年寺焼失につき、この前不分、以来の仏これを初代とす。俗名安左衛門:享保十九年九月二日没」
「東村山の四方山話」より(東村山郷土研究会:平成16年発行)
たまろくめぐり
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