更新日 : 2023年02月24日
東久留米市旧門前地区の昔話です。
(省略)
榛名講とか大山講とか戸隠講とかいろいろそういう講もあったんじゃないかと思うんですが、それについてのお話をいただきたいと思います。
- それじゃ今の講社のことなんですがね、いつごろからあったということはもちろんわかりませんけども、現在門前には、講社が七つあるんですよね。
ということはまず第一番に富士山、大山様、それから、榛名山ね、それから御岳山ね、
それからあの八王子の高槻っていう今八王子になってますがもとの霞村ですかねぇ、あそこの地蔵様、延命地蔵ですか、
それからもう一つ埼玉の大宮から川越にぬける中間辺ですよね、それは、お獅子様、獅子ですね、
それと塩釜様。 - 塩釜ってえのは、村山と大和の境あたりにあったね、
それで毎年4月4日にですね、七つの講社合同でお祭りしてるわけです。
それまでに代参といいまして、ご存知かと思いますが、くじを引きましてですね、順番に代参に行けるわけですね。
そういうことで、特別変った催しとか特徴のあるようなものっていうのはないですね、各神社の掛け軸を全部たてましてね、それをおがんで、お日待ちをするってえいうことですね、一杯飲んでね。
さいしょからいっしょにやっちゃうわけですね。
- 前には、その講その講でやったことがあるんですね。
- まあもともと別のものですから別にやったもんでしょうけどねぇ。
- 各講元さんがねいっしょにね.........。
今は講元さんというのはいっしょに.........。
- いや、各一人一人違うんです。
- たとえば御岳がだれそれと決めたんですよね、それを総括したのが結局、榛名様としたのかわかりませんけどね、一応榛名祭りとして総括した祭りを4月4日にやるわけですね。
- 昔、榛名様っていうとね、一番あらたかな神様だかんね、農家主体の神様だからね。
- 現在人数にすると45人くらいですかね。
芸能関係については何か特殊なものがあるとうけたまわっておりますので、特にお伺いいたしたいというわけなんですが.........。
- それじゃ芸能について.........。
実は、万作というのがね、昔からあったそうで、昭和2年に学総守稲荷の本堂ができて、その披露のときに私が六つか七つころですか、現在の神社の北側に舞台をかけましてね、それが私の覚えでは最後なんですがね。 - 落合と門前と組んでたらしいんです。
- こないだ実は、立川でね、多摩芸能祭りっていうのがありまして、出演した中で、清瀬の中里万作保存会っていうのがあってその方々がやったわけなんですがね、その言われが書いてあるんですが、ちょっと読んでみますとね。
幕末に関東一帯に万作おどりというおどりが流行した。土地では寛政年間に隣村の現在の東久留米市に行って、もと鍜屋のチュウゾウという人から教わった。
ということが書いてあるんですよね。 - それがみつからないんですよね。
- まだ万作をおどれる人は5~6人いますよ。
じゃその信仰の話が今出ているんだけどね、それについて雨ごいのことでちょっといいですか、(記録したメモを取りだす)私が知ってるごく新しいものですが、
「今より41年前の昭和8~9年ごろに、日照りが続くと田畑の作物が枯れてしまうので、部落中の人が氷川神社に集まりいろいろ会合のうえ、雨ごい万作というのをやった。
それには、西多摩郡御岳神社に、代表者が2~3人選ばれ、当時自転車で御岳神社まで行き、神主さんが七代の滝よりお水を青竹のつつに入れてそれを神前に供えて祈祷して、それを代表者がまた自転車で持ちかえり、途中まっている人と交たいになって休まず持ちかえる。
氏神様に供えてから、お水のはいった竹づつをさらに麻でゆわえ長い竹ざさに結び、部落じゅうの人が今のナポリ食堂の裏にある側の堰のところまでゆき、全員がふんどし一つになって川に入り水かけ合戦が始まる。
そのとき、オウヤマダイショウロッコンショウジョウと大きな声で、となえながらやるのである。
これが終ると、部落じゅうの畑をまわりながら竹づつの水を少しづつくみながら、太鼓をたたいてロッコンショウジョウととなえて、歩いたものであるが、現在のような発展した若い人たちには、見ることのできなかった風景である。」
このように私はまとめてみたんですが。 - こんな風にして畑じゅうをこうねよ。
そうそう、御岳山へ代表が行きましてね、七代の滝というその水をいただきまして自転車でかえってきて畑じゅうを太鼓をたたきながら歩いたですね、やっぱり一つの信仰だったんですね。
水をもちかえる時は途中では水をとめちゃいけないという、休むとそこへ雨がふるということでなかなか苦心があったんですね。
- バトンリレーのようにね、休むことができなかったんです。
- だいたい一番は朝方一時ごろですね、家を出んのが。
弁天様で雨ごいやったことはききませんか。
- 私は一ペン、どうやら、うすら覚えですが、見たことあります。
大円寺の記録だと門前の弁天さまでは雨ごいの挙行をしたという記録があるんですが.........。
これは小山あたりでもやったんでしょ。みんな久留米中どこでも全部同じことやったんですよ。
この門前ののぼりっていうのはなかなか出しませんでした。門前で出せば雨がふるってね。容易には、たてなかったらしいですよね。
- 雨ごいやったのは終戦後やりましたね。
- 1回か2回やりました。
昭和50年2月22日(土曜日)、浄牧院にて
出典:久留米の昔話を聞く、合本復刻版
(編集・発行/東久留米市教育委員会)
たまろくめぐり
PDF・Word・Excelなどのファイルを閲覧するには、ソフトウェアが必要な場合があります。詳細は「ファイルの閲覧方法」を確認してください。