更新日 : 2023年02月02日
東久留米市旧前沢地区の昔話です。
(省略)
では、次に最初の子供が生れた時に行なう風習で、現在行っていないようなことありますか。
- お七夜の祝いぐらいですね。
- うちじゃあ、生まれたときは別に祝いませんでしたね。
- そうだね、別に何もしないね。昔の農家は今のようじゃなく、難産ででもなけりゃあお産婆さんも頼まないしね。自分1人で生んで、とりあげるのはしゅとさんかばあさんでしょう。私なんか7人も生んだけど別に医者にかかるようなこともなかったですね。
一週間も寝んでいて、越中富山の薬屋さんが持ってくる実母散を2服も飲めばそれで丈夫になっちゃいますからね。
今の嫁の代になってからは、市役所から母子手帳いただくから産婆さんにかかりましたけどね。 - だから、今はお産で亡くなるなんて、めったにありませんけど、昔はよく亡くなったんですよ。
産婆さんに頼まないことが多かったんですか。
- ええ、普通は頼まないですよ。
宿には産婆さんのぐらいの技術を持った方はいなかったですか。
- 器用な婆さんが何人かいたですよ。
- (省略) 男の人でしたが何人も取り上げましたよ。
- うちの姑のお婆さんなんかも、1年に二人も3人も取り上げたことがありますよ。
生まれるまではこうしちゃあいけないとかいう迷信のようなこと言いませんでしたか。
- 別にそんなこと言いませんでしたね。
- 生まれてからは、うちによってはなかなかむずかしかったんですよ。かんぴょうか、かつお節味噌くらいしか食べちゃいけないなんて言ってね。うちの方では生んでから3年間は柿を食べちゃいけないって言うから、毎年柿は食べられなかったね。
- 柿断するうちがありましたね。
- 今じゃあ、あれ食べなくちゃいけない、これ食べなくちゃいけないなんてまるで昔と逆ですよ。
- ほうれん草は血を荒らすからいけないって言いましたね。
昭和52年1月22日 (土曜日) 米津寺にて
出典: 久留米の昔話を聞く合本復刻版 (編集・発行: 東久留米市教育委員会)
たまろくめぐり
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