更新日 : 2023年02月24日
東久留米市旧柳窪地区の昔話です。
(省略)
女性の生き方について少し伺いたいと思いますが、学校を卒業した後奉公に出た方もいるようですが、いわゆる花嫁修業といったものは、やはりやったんでしょうか。
- (省略) 機械で糸を引くのに行きましたよ。習うというより仕事にいったんだね。
機織りではなくてですか。
- ええ機織りじゃなく繭の糸引きです。娘時代に行ったですね。
- 機織りもやりましたよ。たいがいのうちで村山絣の機織りはやりましたね。
- 7割位の家でやっていたじゃないですか。
それは自分の家で織るんですか。
- ええ自分の家です。どこの家にも機械があったからね。
他には何か習いましたか。
- 裁縫はどこのうちでも習わせたですね。だけど料理を習うなんてことはなかったね。
- アッハッハッハー (全員)。
- 手打ちうどんが出来れば上等の方だ。
- 裁縫だってね、今の人みたいに1年中行かせて貰うってわけにはいかないんですよ。家の仕事の暇な時だけですよ。だから1月から4月一杯行けばやって貰った方ですよ。そのかわり2年も3年も行きましたけどね。
裁縫を親から教わったってことはないですか。
- 親から教わったって人はないでしょうね。親もよく知らないですよ。昔の農家の人は特にね。
- 教える人があって10人位集めて教えていましたね。
- お針だけはみんな習いましたね。
- 私は24の時に養子をとったんですが、私は裁縫が好きだったからよくやってたんですよ。
そうしたら父親が、ひとりでやってるより近所の娘さんたちにすこしは教え乍ら一緒にやった方が張り合いがあんべえなんて云われてね、私は人に教える程知らないからって言ったんだけど、結局家で皆で一緒にやるようになったんですよ。
で、24の時に婿さん貰ったら、婿さんは野菜作りがすごく好きな人だったんですよ。だから裁縫なんて教えていたってたいして金にもならないから、親子3人で野菜を作った方が率がいいからって言われて止めちまったですよ。
昭和52年5月21日 (土曜日) 長福寺にて
出典: 久留米の昔話を聞く合本復刻版 (編集・発行: 東久留米市教育委員会)
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