更新日 : 2023年02月24日
東久留米市旧落合地区の昔話です。
(省略)
生活もひじょうに切りつめたものだったんでしょうかね。
- だいいち食べ物だって、ほとんど稗飯とか粟飯が多くて。
弁当などは?
- さつまいもだとか、いもだとか、そういうものが多かったなー。
- 餅のある頃は餅を持っていって、それがなくなる頃にはさつまがそろそろできるんだよね。
- もろこし餅っていうのは沢山つきましたね、米の餅がつけないからもろこし餅っていうのは沢山ついて、茶菓子に食べるようにしましたね。
- よくお茶を摘む時分まで餅を食ったよね。
- 田植えの時期まで。餅は茶菓子に世話なしでね。
機織りのことなんですけど、女の人ばかりが機織りをやったわけで、男は外の仕事ですね。それは一家の経済源になったわけですね。
- うちのおふくろなんかよく織ったんだそうですけど、1日1反織ったそうです。それを織らないとしまう(寝る)ことはできなかったらしい事を聞いておりました。
できあがった荷を集める人は?
- ハタ屋さんは、所沢から来たようです。
- うちの親たちは、わらじを作って所沢の市へ持って行って売ったということで、ボロ籠の中へわらじを作って集めておいて所沢へ売りに行ったって事を聞いております。
- よく聞いてみると、そのわらじは所沢で使用したんじゃないんだって、所沢めがけていたる所の人が、所沢へ売りに行ったわけだね。
じゃ、問屋があったんだね。
- そうそう、そこへどこからの人が来るかというと、飯能方面の商人が沢山買いしめて、山仕事する人に売ったそうだね。所沢近所の人が買って履いたんじゃない。所沢が集散地だね。
- 川越にもわらじとか農作物を売りに行きました。
- それから売り物には行かないけれど、肥料は志木へ買いに行きました。
志木の肥料というのは、今の化学肥料ですか?
- 米ぬか、です。
それはめいめいで肥料屋へ行ってくるわけでしょう?
- そうらしいです。
落合には、肥料を沢山おいて、いつでも売ってやる様な人はいなかったんですか?
- そいういう人はいなかったです。
今まで明治、大正、昭和と過ぎて来たわけですけど、皆さんの頭の中に残っている一番、景気の悪かったのはいつ頃でしょう?
- 一番景気の悪かったのは、自分達が子供の頃だから親によく聞いたんですが、大正4年頃がとっても景気が悪かったんだそうです。
景気の悪い頃だから家を建てる人が全然いないんで、大工さんがいても大工さんの仕事がないというひじょうに景気の悪い頃、私のおふくろの家で家を建てたわけで、40坪か45坪の家で建て前をするまで請けおったのが手間賃だけで13円で請けおったんだって、いくらその頃でも13円じゃ安すぎていくらか増してくれと大工さんに言われたなんていう時代だったらしいですね。
それから昭和4年から5年頃も、すごく景気が悪かった。 - あの頃は一番悪かったですね。
- 久留米の役所で失業事業だ、失業対策だなんて割り当て仕事、救済事業だのあの頃が一番悪かったんじゃないの......。
震災の後は、建設利益でもって景気は、多少うわむいたでしょうかね。
- 震災後は、ものすごくよかったんじゃないですか。
- それで金のない人が、一時的にばか金をもうけたなんて話聞きます。
- この辺の農家は養蚕をいくらか養ってたから、震災でたまげちゃって蚕をうっちゃって、桑の木こいで野菜に転換したんで、だから期間がまだ景気っていうまで行かなかったんだね。
震災の為に養蚕したって、生糸は売れないし、繭は売れないし、だからみんなあきらめちゃってよ、桑の木みんな、こいちゃうべえなんてね。野菜を早くやった人は、いくらか金をもうけたですよ。
そのうちまた、ガタガタっと景気が悪くなったんですね。その頃は子供が学校へ行くのにも冬でも足袋履かない子も多勢?
- その頃は、学校から足袋履いてくりゃ親にぶっとばされたもの。足袋脱げなんて。
雪が降ってもはだしですか?
- はだしで行きゃ元気がいいなんてね。
- 昔は勉強ができない子は、親孝行だって言ってよ、勉強ができれば幾年も学校へ行くようだから、おまえ落第しちゃえば守りっ子に行けなんて言ってよ、うちじゃしょうがねえから下げて(学校をやめさせて) 守りっ子に7年奉公へやっちゃったなんていうのが多くて、他人の飯食わなきゃ一人前じゃねえっていう教育だった。
子守はどこへ行ったんですか?
- 農家のでかいところへね、おまんまごちそうになりにね。着物着せてやるからこう(来い)なんて言ってね。
- 学校だって4年で卒業。(尋常小学校)。
- そういえば、高等(尋常高等小学校) へ行くのが幾人もいないね。
今の子供は学校から帰ってきますと塾へも行きまして、この辺で遊んでいる子供を見うけないわけですけども。
- その時分の遊びは私らの時分は、この神社で芝やごっこ(芝居ごっこ)をやったり、いいお天気にはどじょうすくいとか、めんち(メンコ)、たんが(タガ)廻しをやった。こま廻しは最近だろうねー。
(省略)
昭和51年3月6日 (土曜日) 落合浅間神社にて
出典: 久留米の昔話を聞く合本復刻版 (編集・発行: 東久留米市教育委員会)
たまろくめぐり
PDF・Word・Excelなどのファイルを閲覧するには、ソフトウェアが必要な場合があります。詳細は「ファイルの閲覧方法」を確認してください。